僕にとって「歌」とは4
初めてギターを握ったのは中学3年の誕生日です。父とお茶の水に買いに行き、挫折しながらそれでもなんとか練習して半年。
高校へ入学してアコースティックギター部に入部し、毎日下校時刻になるまで弾きまくりました。「月刊歌謡曲」という雑誌を買って、流行りの曲を練習し、激しく歌い、青春時代を過ごしました。
練習場所はなんと廊下。学校中に響き渡っていただろうと思います。部室が楽器の保管場所で埋まってしまうため、致し方なかったのですが、それでも僕は関係なく、楽器をひたすら鳴らし、ひたすら歌う。お腹が減るからコンビニで食べる。それの繰り返し。
でも、それが本当に楽しかった。
あの頃僕の中にあった「歌」はなんだったのでしょうか。自分で楽器を弾き、そこに声を乗せる。
カバーも、オリジナルも、全部楽しかった。
中学の時とはまた違う「歌」への思いがあったように思います。
そして、今の僕が思う「歌」の原点であったようにも感じます。
あの頃の僕にとって「歌」とは「自分の存在を示すもの」であったと思います。
校舎中に響き渡る、決してうまくないギター、ボーカル。
でも、確かにそこにある「歌」。
僕はここにいるんだ。
歌が僕を僕でいさせてくれるんだ。
そう思えたのです。
高校時代、あの廊下で、あの場所でそれを容赦無く表現できたから、きっと今も歌うことを辞めていないのだと思いました。
誰も聴いてはいないだろう、聴いていても聴くに耐えないだろう。
でもそれでよかった。
僕が僕として存在できるならそれでよかった。
「歌=高杉」という法則を勝手に自分の中に作っていました。楽しいとか気持ちがいいとかの表現を超えて、歌っている時が僕であり続けられた。それが嬉しくて、ずっと歌っていたように思います。おかげさまで第一志望の大学落ちましたが。
でも、本当に楽しそうにしている、という声を今もいただくのはきっとこの頃に感じていたことが今もあるからだと思います。
少しずつ変わってきた僕にとっての「歌」。
大学時代、社会人時代、どう変わっていくのでしょうか・・・。
10代の僕にとっての「歌」の話でした。